法雨抄

多生の緑2013年02月01日

 黄檗宗(おうばくしゅう)の開祖隠元(いんげん)は京都所司代板倉重宗(いたくらしげむね)から、唐にいた頃の不思議な修行の体験を問われて、もっと不思議なことがありますと語りだした。
 「私が唐のどこで生まれたか、殿はご存知ないはずですし、私もまた、殿は京都所司代とばかりで、どこでお生まれの方かぞんじません。こうした二人が、今日ここで、こうして面と面とをさし合わせて話をしている。これこそ本当に不思議なことではないでしょうか」
と言ったということです。
 思えば何十億という人の中から一人の人と出会う事はなんと不思議な因縁(いんねん)ではありませんか。茶道にも一期一会(いちごいちえ)という言葉がありますが、その出会いに誠意を以て対処すべきことはいうまでもないでしょう。
 日蓮大聖人十王讃歎抄に曰く
 およそ一樹の陰に宿り、一河の流れを汲むことだにも多生(たしょう)の縁と

平成25年2月1日 多生の緑

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