法雨抄

清正公様2010年07月01日

 今を去る四百年昔、大村藩はキリシタンからの改宗を迫られ大変な危機をむかえていました。其の時盟友加藤清正公は法華経の信仰を大村喜前公に説いたのです。それは清正公の人生にも或は領国を治めて行く上に於いても拠り所とされた信仰でした。大村喜前公はその信念に打たれて法華経に改宗してことなきをえました。爾来大村藩は清正公を徳とし治世よろしきを得て栄えてきました。
  清正公様の強い法華経信仰は外には武勇並びなく、内には慈悲の権化(ごんげ)の如くに民衆の渇仰(かつごう)の的となり、「セイショコサン」とよばれて人々から崇(あが)められるようになったのであります。特に朝鮮の役の蔚山籠城(うるさんろうじょう)に示された軍令状にはその強い信仰がよく表れています。曰く
  諸卒に臆病者なし。是ひとえに高祖大士を頭(こうべ)に頂き、朝夕南無妙法蓮華経と唱ふるゆえ、軍(いくさ)に勝つ。

平成22年7月1日 清正公様

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