法雨抄

得意・不得意2007年12月01日

 私は小さい頃から手先が不器用で、工作や絵が大の苦手だった。小学校の参観日には、図画工作の作品が教室の後に並べられるので大変苦痛で、もっと器用だったら良かったのにとクラスメートが羨ましくて仕方なかったものだ。......
 結婚して主婦となっても不器用さは相変わらずで、料理も裁縫も半人前...器用なお母さんだったらいろんなおいしい料理やお菓子を作ってあげられるのに、と常々子どもに申し訳なく思っている。
 ある日のこと、中一の次男に「料理の上手なお母さんだったらよかったのにねえ」と愚痴をこぼすと、「でもお母さんは文章を書くのがうまいよ。投稿が新聞に載るもん」と褒めてくれた。私はその言葉に胸がジーンとなり、まるで先生に褒められた生徒のようにうれしかった。
 此れは朝日新聞の山口県周南市にお住まいの田坂さんの投書でした。
 お母さんの文章力に敬意を抱いている次男坊が、新聞の投稿欄を楽しみにしてお母さんの投書を探し、お母さんの名前を見つけると胸を躍らせて読み耽っている姿まで想像されて、ほうえましくなりました。
 どんな人にだって不得意の面はいろいろありましょうが、でも必ず得意の何かを持っているはずです。人の不得意の面をあげつろうて軽蔑しあうよりも、互いにその得意の面を褒めあい、尊敬しあっていけば、世の中に色んな不協和音は起こらなくてすむのではないでしょうか。
 このように、お互いの不得意を小ばかにするのではなく、いたわって補い合い、そしてその得意の面を認め合い、お互いに学びあう姿勢を持って切磋琢磨する世界が極楽浄土の消息ではないでしょうか。
 日蓮大上人「一生成仏抄」に曰く
 衆生の心けがるれば土もけがれ、心清ければ土も清しとて、浄土と言い穢土(えど)と言うも、土に二つのへだてなし。只我等が心の善悪によるとみえたり。

平成19年12月1日 「得意・不得意」

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