法雨抄

出来る事から2007年11月01日

 南米エクアドルの先住民の間に「ハチドリの物語」という民話が伝えられている。
 ある日、森が燃え、生き物たちは逃げ始めるが、一羽の小さなハチドリがくちばしに水を入れて森に運んでいる。
 動物たちは「そんな事をして何になるんだ」と笑うが、ハチドリは言う。「私に出来ることをしているだけ」と。
 この話を知ったある大学生が通学前に駅前でごみ拾いを始めた。来る日も来る日もたった一人でごみを拾い続けたところ、ある日、「君はどうしてごみを拾っているのですか」と通りがかりにサラリーマン風の男性が尋ねてきた。大学生は答えた。「ぼくにできることをしているだけです」
 次の日からごみを拾う人は二人になった。その後、次々にその輪が広がったという。
(長崎新聞寄稿、長崎県こども政策局長浦川末子氏〈今できること大人から始めよう〉より)そして最後に
 さあ、みんなで始めよう。「できることから、大人から」を合言葉に、
と結んでありました。
 今、本当に自分でやれば出来る事でも、そんなことは俺の仕事ではないと、他人をたのみ、公を当にして、手を拱いているような人が多いのではないでしょうか。
 ケネディの言葉ではありませんが、公が何をしてくれるかではなく、公に対して自分が何が出来るかという事を真剣に考えていかなければならない時ではないでしょうか。そんな事はわかっているといっても、それを実践しなければ何にもなりません。実践はそのわかっていることを客観化するバロメーターであります。
 大きい事はいいません。「一隅を照らす、これを国宝という」とは伝教大師の言葉です。自分の足もとの出来る事からはじめましょう。
 日蓮聖人崇峻天皇御書に曰く
 教主釈尊出世の本懐は、人の振る舞いにて候いけるぞ。

平成19年11月1日 「出来る事から」

法雨抄一覧へ戻る