法雨抄

心法の修行2004年01月01日

今年が佳い年でありますよう
お祈り申しあげます。


 ある時、沢庵禅師は、柳生但馬守の門前を通りかかり、太刀打ちの音を聞いて
 「下手だな」
と言ったひとりごとを聞きとがめられ、道場に引き込まれて、但馬守と立会うはめになりました。但馬守は
 「御身は何流を修めておられるか。そして御身は、何をお持ちなさるか?」
と聞きましたが、沢庵は
 「流儀などござらぬ。わしは出家なれば、何も持ち申さぬ」
と、中啓一つ手に持って、道場の真ん中にぬっと立ちました。
 但馬守は驚きました。微塵の隙も無い構えでした。なまじ打ちかかりでもすれば、どんな目に遭うかも分からないと思った但馬守は木刀を下におくと、
 「恐れ入りました。まことに御身は智徳優れた聖僧とお見受けもうす。その物に動ぜぬ心法の修行を、お教え下さいませ」と平伏懇願しました。但馬守の器量に感じた沢庵は、その心法の極意をさずけたということであります。
 「心法の極意」とは、流儀などを越えて、人生に於ける総ての物の「最も完成された姿」とでもいえましょうか、技術ではなく、心であり、「心法の修行」とは自己研鑽にほかなりません。
 暮れにテレビで聞いた三人の女性社長の本年のターゲットは「自分」ということで、自分を磨くこと、自分の再発見が本年のテーマだといっていましたが、時流に流されず、自己確立の年にしたいものです。
 日蓮上人は四条金吾殿御返事に
 「ただ心こそ大切なれ。・・・励みをなして剛盛に信力をいたし給え」

平成16年1月1日 「心法の修行」

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