法雨抄

心法の修行2004年02月06日

 世界のほとんどのことは思うようにはならない。でも思うようにはならないからと言って、放っておくことの出来ないことがある。其の場合、丹念に手入れしつつ、あとは自然の過程の中から何が出てくるのかを楽しみに待つという姿勢が手入れの思想ということなのだろう。
 養老孟司氏は手入れということで、女性の化粧のことをしばしばとりあげられている。女性は毎日鏡をみながら、ああでもない、こうでもないといって、あれをつけてみたり、これをつけてみたり、あっちを削ってみたり、こっちを足してみたり色々やって、それを十年、二十年、三十年やると、しょうがない自分の顔だというふうに折り合いがついてくる、と。
 おそらくこういう毎日の手入れが、女性の長生きと元気良さに関わっているのだろう。手入れをすることによって少しずつそれなりの折り合いを付けていくことが健康を保っていくうえで大切なことなのだとおもう。
とは、「人間医学」の主張の一節です。毎日欠かさず手入れをすることによって、私たちの顔も、体もだんだんとかどが取れて、まあるく折り合いがついてくるということでしょう。
 心だっておなじことではないでしょうか。毎日手入れをすることによって、とがったかどが矯められ、それなりに折り合いがついて、円満な人格が出来てくるというものでしょう。
 しかし、心は顔のように鏡にうつしだして捉えることの出来ないものですから、ついつい手入れが怠りがちになって、我侭のツノが、顔のニキビのように噴出してくるのです。
 日蓮上人一生成仏抄に曰く
 深く信心をおこして(心を)日夜朝暮に又、おこたらず磨くべし。如何様にしてか磨くべき。ただ南無妙法蓮華経と唱えたてまつるを、これを磨くとは言うなり。

平成16年2月6日 「心法の修行」

法雨抄一覧へ戻る