法雨抄

自分を責める子たち2003年11月01日

 「長崎ぶらぶら節」の著者なかにし礼氏の「人生の黄金律 なかにし礼と華やぐ人々」の中の、黒柳徹子さんとの対談の中に、こんな対話がありました。
黒柳ー子供ってみんな自分が悪い、自分がいけなかったんだって思っているんです。ルワンダの内戦で親を亡くした子供たちが親が殺されたのは自分が親の言うことをきかなかったからだと自分を責めているもの。それを知って、神様は何と純粋なものを子供たちにお与えになっているのだろうとおもいました。
 自分がやったにもかかわらず、何とか他人のせいにしようと考える大人が多いのに子供は自分がやったのではないのに自分のせいにする・・・きっと私たちみんなそうだったんだろうけれど、そういうものを忘れているんだろうとおもいます。
なかにしー我々大人は「目覚めよ」なんて言うけど、本来、人間は誰でもそういう心を持って生まれてくるのだから、本当は失ったことを思い出すために「目覚めよ」なんですよね。
と。思えば最近の親子の色々のトラブルの中で犠牲になった子供たちも、じっと自分が耐えて親のことを悪く言うような子はあまりいなかったように思います。いじらしいというのか、子供たちは純粋に親子の絆の修復を願って一生懸命耐えていたのではなかったでしょうか。そういう子供の純粋な気持ちを踏みにじることは誰にも許されることではありません。幼くても人の命は大千世界よりも重いものなのです。なかにし礼氏が言うように大人社会が目覚めることが今一番大事なことかもしれません。子供は大人の言動を真似て育ってゆくのです。
 たとえ、親を批判する子供でも、同時に親を尊敬したい気持ちを持っているはずです。子供に学ぶ姿勢もまた必要でしょう。
 日蓮上人 上野殿御返事に曰く
 哀れ人はよき子をば持つべかりけるものかなと涙もかきあえずこそ候え。


平成15年11月1日(自分を責める子たち)

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