法雨抄

地獄と極楽2003年07月01日

 この老夫婦にも年1回のボーナスがある。と言えば、どうして?と不思議がられることだろう。
 長年共働きで年2回のボーナスを頂いて来たのに、辞めた途端縁なしになった。当然とはいえ、その時期になるとうらやましく、寂しい気持ちになった。
 そこで12年前、年1回のボーナスを年末に手にする計画を立てた。それが「竹筒貯金」である。貯金箱は、毎年、知人から胴回りの太いモウソウ竹の二節をもらい、それで夫が作ってくれる。
 財布の500円玉を競争みたいにポトン、チャリンとためていく。去年のボーナス日は12月25日。酒樽割りよろしく竹筒を金づちで一撃。ザラザラと音を立てて畳の上に500円玉が広がった。二人分合わせて24万余円。このお金は孫の成人祝いになった。
 暮れまでの間、竹筒貯金を抱え持ち「去年より多いみたいよ」などと言い合いながらボーナスに大きな夢を託する老人二人である。
 これは福岡県筑後市の本年77歳になる下川さんの読売新聞への投書です。
 まことにほほえましい老夫婦ではありませんか。ボーナスがなくなった、さびしいな、とうらやましがってばかりいたのでは暗い老後でしょうが、このご夫婦のように、ボーナスがなくなったら、ボーナスにかわる楽しみを見つけようと、前向きにアイデアを生かしてゆけば、明るい老後が約束されるというものでしょう。
 明も暗も人間の心の中に本来存在するもので、その明に心を置けば極楽、暗に心を置けばそれが地獄ではないでしょうか。
 日蓮上人は一生成仏抄に曰く
 浄土と言い穢土と言うも土に二つの隔てなし。只我等が心の善悪によると見えたり。衆生と言うも仏と言うも亦かくの如し。迷うときは衆生と名づけ、悟る時をば仏と名づけたり。


平成15年7月1日

法雨抄一覧へ戻る