法雨抄

灯を消せ2002年01月01日

今年が佳い年でありますよう
      お祈り申しあげます

 船で海釣りに出掛け、夢中になっているうちに夕闇で、みるみるうちに暗くなってきた。慌てて帰りかけたが、潮の流れが変わり、混乱してしまった方角がわからなくなった。あいにくと月もなく、そのうちに真暗闇になってしまった。松明を掲げて、必死になって方角を探ろうとするけれども見当がつかない。
 その時、一人の漁師が「灯を消せ」と言う。不思議に思いながらも、その気迫に押されて松明を消すと、あたりは真暗闇である。しかし、だんだんと目がなれてくると、遠くの方に浜の明かりがボーッとみえてきた。そして無事に帰り着いた、(太田典生「小さな感動」のおすそ分け)
と言う昔話しがあるそうです。
 今日のように行き先不明の社会情勢の中で、これは極めて示唆に富んだ問題解決の一つの方法ではないでしょうか。
 今、私たちは何とか昏迷の中から抜け出そうとライトを明るく、明るくして、脱出口を探そうとしていますが、明るければ明るいほど、道は見えず、ライトの照らす方角に右往左往して、自分の存在さえ見失おうとしていはしないでしょうか。
 こういう時こそ、一度灯を消して、暗闇の中に目を凝らしてみたら如何でしょう。
 日蓮上人があの鎌倉の昏迷の時代に諸宗を批判されたのも、諸々の灯を消して、自分の目で真実の道を求めようとされたと言うことではなかったでしょうか。
 そして見出された昏迷脱出の一筋の光明が南無妙法蓮華経だったのではなかったでしょうか。上野殿御書に曰く
 今末法に入りぬれば、余経も法華経もせんなし、ただ南無妙法連華経なるべし

平成14年1月1日 「灯を消せ」

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