法雨抄

クレッシェンド2003年02月01日

 徳富蘆花という明治に生まれた人が、
「人生100とすれば、50は半分です。峠です。私は、峠に来ました。峠の上から来し方や、行く末が一望のもとに集まってきています。峠と言っても、向こうは下りと決まりません。山の上にも山があり、山より奥にも山がある。人生の旅はただ上りです」と言っています。
 皆さん、上りですよ、75歳から。それは音楽で言うクレッシェンド(音を次第に強く大きくせよ、の意)です。
 顔にはしわやしみがあるかもしれませんが、中身は上りにあるのです。皮膚の表面は齢を取っているように見えても、このうちなる我に、そのクレッシェンドの気持ちがあれば、その人はいつまでも若くあるといえるのです。
 そう私は考えて、第二の人生が75歳から始まることを若い子どもや孫に教えます。第二の人生を、世の中の色々なことに飽きたおじいちゃんおぱあちゃんでなく、クレッシェンドで上っている老人の姿を想像する。そのどちらがいいと子どもは思うでしょうか。(聖路加国際病院理事長日野原重明氏ロータリー地区大会講演「生き方の選択」より)
 人生は常に前向き、上向きでありたいものです。特に第二の人生は前半の私たちの生き方を是正して、生きることの喜びや魂の救いに目覚めさせてくれるのではないでしょうか。人間は誰しも正しくありたい、尊くありたい、良心に恥じない生き方を求めております。そういう時に私たちを支えてくれるのが正しい信仰ではないでしょうか。信仰は人間の欲望や理性の働きを抑え、麻痺させるものではなく、おおらかにこれを開放し、良心に軌道を与え、より確かな生き方を示唆してくれます。

日蓮上人観心本尊抄に曰く
「天晴れぬれば、地明らかなり。
  法華を識(し)る者は 世法を得べきか」

平成15年2月1日 「クレッシェンド」

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