法雨抄

豆の字は豆にあらず2003年01月01日

今年が佳い年でありますよう
お祈り申しあげます。


 相馬中村の藩士富田高慶は二宮尊徳の教えを聞こうと、通い始めて百日ほどしたとき、やっと会ってもらえたが、
 「貴下は学者ということじゃが、豆という字をご存知か」
 これが最初の挨拶でした。高慶心を鎮め
 「はい、存じております」
 「ではそこへ豆という字を書いて下さい」
 と尊徳は家人に命じて紙と筆とをもってこさせました。高慶謹んで筆を取り、肉太に豆の一字を書きました。
 尊徳は更に馬屋から馬を縁側に引かせ、箕に豆を盛ってこさせました。そして豆の字を書いた紙と一握りの豆を馬の鼻面につきつけて、
 「どうじゃ、どちらも豆じゃが、貴下の書いた豆と、拙者の作った豆と、どちらを馬が食うだろう」
 馬は尊徳の出した豆を、鼻を鳴らして食いました。
 「どうじゃ、良くは書いてあるが、この豆は馬が食わぬぞ。拙者の作った豆は粗末ながら、馬が食ったぞ」
 高慶は一言も発することが出来なかったと言います。
 豆の字は百千あっても所詮は絵に描いた餅、腹はふくれません。尊徳は
 「朝夕に善を思うといえども、善事をなさざれば善人というべからず」
 と門人に教えていたと言います。
 日蓮上人は十八円満妙に曰く
 「予が弟子等は我が如く正理を修行し給え、智者学匠の身となりても、地獄に落ちて何の詮かあるべきや、所詮、時時念念に南無妙法蓮華経と唱うべし」と。

平成15年1月1日 「豆の字は豆にあらず」

法雨抄一覧へ戻る