法雨抄

悟り2012年05月01日

 明治の初期、俳句・短歌の革新運動を起こした正岡子規は写生文にも新生命を開いたが、その著作「病牀(びょうしょう)六尺」の中で
 「余は今まで禅宗のいわゆる悟りという事を誤解していた。悟りという事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きている事であった」
と言っています。
 葉隠(はがくれ)の「武士道と云(いう)は死ぬ事と見付(みつけ)たり」に代表されるように、悟りとは死の恐怖から抜け出す事だと思われがちですが、いかに立派に生きるか、その生き方に徹することではないでしょうか。仏は本来 人の生き方を教えられたのです。
日蓮大聖人依法華経可延定業に曰く
 命と申す物は一身第一の珍宝(たから)なり、一日なりともこれをのぶるならば千万両の金(こがね)にもすぎたり

平成24年5月1日 悟り

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