法雨抄

悟りとは2008年07月01日

 お釈迦様のお弟子のパンタカはしばしば自分の名前すらも忘れるくらいの知恵遅れでしたが、ある時「塵を払い、垢を除かん」という一句と箒を与えられて、掃除を命じられました。彼は懸命に掃除すること数年、遂に自分の心の塵をも掃除してしまったのです。お釈迦様は
「悟りを開くということは、多くのことを覚えることではない。たった一句でもその意義を理解し、行ずることが大切で、パンタカは掃除することによって、悟りをえたのである」と教えられました。劣れる者は劣れるなりに、賢いものは賢いなりに、その道に撤せよとの教えでした。
 日蓮上人は三三蔵祈雨事(さんさんぞうきうじ)に曰く
 須梨槃特(しゅりはんどく)(=パンタカ)は三箇年に一四字を暗(そら)にせざりしかども仏になりぬ。提樹達多(だいばだった)は六万蔵(ろくまんぞう)を暗にして無間(むげん)(地獄(じごく))に落ちぬ。これ偏(ひとえ)に末代今の世を表するなり。

平成20年7月1日 「悟りとは」

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