法雨抄

愛の油を2005年01月01日

今年が佳い年でありますよう
お祈り申しあげます。

 創立間もない頃、同志社大学で、一人の教師に反抗して、学生間にストライキが起こったことがありました。
 代表者たちが、時の校長新島 襄を訪ね、彼らの主張をとうとうと述べて、その教師に反抗する理由を訴えました。
 新島校長はそれをじっと聞いておりましたが、学生たちの陳述がおわると、静かに答えて、
 「諸君の議論はいかにも尤もである。然しながら、ただ一つ欠けているものがある。どうかそれを付け加えてほしいものである諸君の議論の上に愛の油を加えて下さい」と言いました。
 これには学生たちも一言も返す言葉がなく、恐縮して引き取るようなことになり、ストライキは間もなく鎮静したということです。
 今一番欲しいものが、この「愛の油」ではないでしょうか。大は国際問題から、小は人間同士の問題まで、至る所に「愛の油」が凍り付いて、大小さまざまの不協和音が起こっているとしか思えません。
 明治の大教育者杉浦重剛は「愛はあくことなし」と言っていますが、愛の油は誰でも持っているはずです。その油あくことなく注いでいけば、油はどんな隙間にも入り込んで問題の間を潤していくでしょう。そして凍った他者の愛の油も溶かし、油は一体となって、自他の隔てがなくなり、互いの間に自他一体であるという心の底からの友愛の情が育っていくのではないでしょうか。それが浄土というものだと思います。
 日蓮上人上野書に曰く
 それ浄土というも地獄というも外には候わず、ただ我らが胸の間にあり、

平成17年1月1日 「愛の油を」

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