法雨抄

地上の宝2002年10月01日

 千葉県安房の清澄寺で出家得度されてより、鎌倉、また比叡山での勉学、京都・奈良・高野山など、諸宗の各地を遊学されて得られた結論は、世に広く信仰されていた浄土教、あるいは真言密教とは異なり、我々の住んでいるこの娑婆世界の教主は釈迦牟尼佛であり、その釈迦牟尼佛の根源が説かれている「妙法蓮華経」を中心とした信仰によるべきであるということであった。
 このことを出家得度の地であり、また"知恵の宝珠"をいただいた虚空蔵菩薩に報告するために清澄寺にもどり、(建長5年4月28日筆者註)「南無妙法蓮華経」を明の明星と旭日に向かって唱え、持佛堂の南面で、大衆の前に自ら得た信念を披露されたのである。名も「蓮長」から「日蓮」に自ら改められた。
 しかし、当時の大衆の信仰とは異なったために、日蓮聖人に対する期待が大きかっただけに、日蓮聖人に対する反発も大きなものがあった。その代表的な人物が地頭の東條景信である。東條景信の怒りにふれた日蓮聖人は清澄寺から追われ、当時の政治の中心地鎌倉に向かったのである。(日蓮宗実用事典より)
 日蓮聖人によって御題目が始めて唱えられ、私たちにも「みんなも一生懸命唱えてごらん」と教えられたことは、法華経の真理がただ仰ぐだけの天空の星ではなく、地上の私たちの宝となったということでした。
 そして私たちが仏さまの智恵と慈悲を頂くためにはただ「南無妙法蓮華経」と一心に唱えることでした。
 今年はその御題目始唱750年に当たり、今年初めより準備をしてまいりましたが、この12日にその報恩の法要を執り行なうことになりました。お参りください。
 日蓮聖人諸法実相抄に曰く
 日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱えしが二人三人百人と次第に唱えつたうるなり。未来もまたしかるべし。

平成14年10月1日 「地上の宝」

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