法雨抄

彼岸の世界2002年09月01日

 3年生の「あまりのある数」の授業で、「1つに6人ずつ座れる長椅子があります。61人の子供が座るには、長椅子はいくついるでしょう」という問題か出ました。
 クラスの回答はほほ半々に割れました。
 11脚とするグループは、61÷6=10 あまり1 だから、6人ずつ座るのが10脚、1人だけのが1脚で、計11脚。
 10脚とするグループは、あまった子が、一人だけ座らされるのはかわいそうだ。どの長椅子かを7人掛けにすれば、10脚ですむ。
 先生はいいました。
 「算数は問題に沿って考えていきます。ですから、1つに6人ずつ座れる、と書いてあるのに、7人座らせる事は出来ません。この問題の正しい答えは、11脚です」
 そこえ、一人の女の子が手を挙げました。
 「先生、算数の答えは11脚と言う事は分かりましたけど、実際にこういう時どうするか、と言う事を考えてもいいですか」
 「いいですよ、どうするかな」
 女の子は前へ出て、黒板に書きました。
 (6x6)十(5X5)=61
 「11脚のうち、6脚には6人ずつ座り、5脚には5人ずつ座ります。そうすれば、あまった子が一人で座らされることはありません」
 うわあ、とクラス全員から声が上がり、拍手喝来。
 先生は涙が出そうな気持ちになりました。
 (読むクスリ31より)
 今月は彼岸会の月です。此岸に対する彼岸の世界とはこんな世界を言うのではないでしようか。そこは仏様がこしらえて待って下さっている世界ではなく、そこに住む皆が思いやりの気持ちで睦み合い、みんなで幸せになろうと努力する世界の事ではないでしょうか。日蓮上人上野書に曰く
 浄土と言うも地獄と言うも外には候わず、ただ我等が胸の間にあり。

平成14年9月1日 「彼岸の世界」

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