法雨抄

日本料理のルーツ1999年09月01日

 料理屋の味と家庭料理のどちらが大切かといえば、これは間違いなく家庭の味です。料理屋で出す食事とは結局のところ、家庭のお惣菜を丁寧に格好よく作ったものですから。家庭料理がちゃんとしてなければ日本料理の水準も次第に落ちていきます。‥‥
 今、うちで預かっている料理人は東京や地方の一流料亭の跡継ぎで、みんな料理学校を卒業した子たちです。小さい頃からフグやキャビアを食べて育った連中ですよ。しかし、こうした子たちは私らが食べたような、きんぴら、ひじきの煮物、卯の花‥‥と言ったおかずを自宅で殆ど口にした事がないと言うんです。‥‥家庭で惣菜を食べた事の無い子が料理人を目指す時代になってしまいました。
 考えてみればこれは日本料理にとって大変なことです。家庭の味がなくなってしまったらいい料理人なんて育つはずがない。おいしい料理を作る舌は外食では養えません。子供の頃の食事にかかっています。
(シグネチャー9月号 娘に贈る日本の味2野地秩嘉の文より)

 これを要するに、素晴らしい日本料理のルーツは子供の頃の食事に有りというわけです。家庭に有りというわけです。
 同様に教育も、成人後の性格形成も、子供の頃の家庭のあり方にかかっているといえるのではないでしょうか。
 然るにその家庭がいま崩壊に瀕しています。曰く家庭内暴力、曰く親の子供虐待。そうした現実から、私たちは眼をそらしてはいけないとおもいます。
 何といっても、親が、夫婦が自己研鑽、人格向上の気持ちを確り持つ事が第一ではないでしょうか。所詮 性が違い、したがって発想が違う夫婦が良質な発想で互いに啓発しあい、初めて立派な夫婦となり、親となるのだと思います。そしてその夫婦関係を支えるものが信仰による同心同行の自覚ではないでしょうか。

 日蓮上人四条書に曰く 「酒盛りも夜は一向に止め給え。只女房と酒うち飲みて何の不足かあるべき」

(平成11年9月1日) 日本料理のルーツ

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