法雨抄

先ずにっこり1997年12月01日

もし私共がお互いに先ずにっこりを実行できたら、世の中がどんなになるだろう。荒々しい仕草や荒々しい言葉が、どれくらい静められ浄められていくか分からない。妙なもので、鏡を見てにっこりと笑ってみる。心に不満や怒りがあると、どんなに努めてみてもそのにっこりがうまく出ない。その代わり、一度にっこりと笑ったその瞬間に、今まで心の中にわだかまっていたすべてのしこりが、たちまちすうっと消えてしまう。
笑顔の中心は何といっても眼である。どんなに顔が笑っても、眼が笑わぬうちは、まだほんとうのにっこりにならない。顔で笑って心で泣いてなどと、歌の文句はあるけれど、心が泣いてるうちはどうしても眼がほんとうに笑わないから駄目である。
心がにっこりして始めてほんとうのにっこりになり、やさしい言葉も生まれるのである。同時に、にっこりした笑顔が、心のほんとうのにっこりを誘い出すことになるのである。
先般知人から宮崎観光の父岩切章太郎氏の「無尽灯」という一冊の本を頂戴しました。上の文はその第一章「先ずにっこり」の一説であります。
誰しもにっこりして暮らしたいが、なかなかそうもいきません。腹の立つようなことや、悲しいことが余りにも多いこの頃はなおさらではないでしょうか。
しかし、そういう時代であればこそ「にっこり」の効用は大きいのではないでしょうか。仏教では誰でも仏性を持っていると言われますが、仏教の利益は仏の心を頂くことです。その仏の心で見つめあっていけば、心のわだかまりなど消えてにっこりとなれるのではないでしょうか。
言葉は通じなくても、にっこりがあれば人は仲良くなれるんです。笑顔は世界共通のパスポートです。
日蓮聖人は兄弟抄などに六波羅密教の言葉をかり、心のコントロールの大切さを
心の師とはなるとも、心の師とせざれと戒めておられます。

(平成9年12月1日)

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