法雨抄

仏は我らが父母なり2004年07月01日

 「佐世保・小六殺害事件に思う」と題して、子育て漫画家の高野 優さんが長崎新聞に書いていた。
 小学二年生の娘に事件のいきさつを話して、どう思うのか聞いてみると、しばらくうつむいてからパッと顔を上げてつぶやいた。「仲直りすればよかったのにね・・・」と。まだ八歳。幼さの残る答えだけれど、これこそが自然な解決策だったのかもしれない(中略)それは一歳の末っ子を連れて川べりを散歩していたときのこと。どこまでも続く一本道を歩く娘を後ろから見ていると流れる風が木や草を、柔らかな娘の髪を揺らす。まっすぐに歩く娘は、ふと不安げな表情で振り返るものの、私を見つけるとほほ笑み、また背を向けて歩きだす。遠く離れた時は、大粒の涙をぼろぼろと流しながら走って抱きついて来る。娘を抱きしめながら、常に子供の背中を見守り、優しく迎える居場所を作ることこそが私の役目だと気付いた。あと数年で思春期を迎える娘たち。子供と大人のはざまで揺れ動き、どうしようもなくなった時は振り返ってほしい。
 必ず守るから、必ず支えるから。
 どうか、すべての子どもたちが輝く花になりますように。天国で母親に甘えている女の子の分まで、咲き誇ってほしいと願を込めて、と。
 今、子供たちに限らず、常にその背中を見守ってくれている人の存在を忘れ、遠く一人歩きして不安になった時、帰ってゆく場所が見出せなくなっているのではないでしょうか。だから案外しっかりした人、自信のある、所謂しっかりした子がかえって判断を誤ってしまうのでしょう。
 人間には生きることそのものが不安なのです。その不安が根本的なものであることに気付いたとき、私たち大きく包んでくれている永遠不滅の命、仏様に見守られていることに眼が開かれてくるのではないでしょうか。日蓮上人祈祷抄に曰く
 仏は人天の主、一切衆生の父母なり。

平成16年7月1日 「仏は我らが父母なり」

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