国指定史跡に2004年06月01日
国の文化審議会は平成16年5月20日 本経寺境内の大村藩主大村家墓所を国の史跡に指定するよう答申を行いました。これにより本経寺の本堂庫裏も合わせて指定を受けることになりました。
この指定の為に数年尽力して下さった大村市教育委員会文化振興課が作ってくれたパンフレットにはこう述べてあります。
大村藩は、肥前大村を城下とし、石高2万7千9百73石の藩です。戦国時代には、領主大村純忠が日本初のキリシタン大名になるなどキリスト教の盛んな土地でした。江戸時代、大村藩は、初代大村喜前(よしあき)から十二代大村純煕(すみひろ)まで一度も転封されることなく、明治維新を迎えました。大村家の菩提寺が本経寺で、その境内に大村家墓所はあります。
本経寺は初代喜前によって慶長13年(1608)に創建された日蓮宗の寺院です。現在でも本堂をはじめ江戸後期の建物が建ち、近世大名の菩提寺としての形態を良く残しています。また、本堂に隣接する大村家墓所は、小藩ながら、巨大で様々な形の墓が建ち並び、大名墓所として荘厳な姿を見ることができます。これらの墓は、キリスト教から佛教へと転換する江戸時代の宗教政策を表したもので、国の史跡に指定するにふさわしい文化財として、云々。
本経寺としては、創立を、過去帳の記録にもよって、慶長十年創立としています。着工が慶長十年、完成は慶長十三年ということです。爾来御題目の信仰を相続し、安永七年(1778)全堂消失の悲運にも会いましたが、天明七年(1787)復興、徳川幕府安定前後の混乱の時代から、現実から逃れるように天国を志向したキリスト教の、隠れての信仰をも抑えて、大村法華の本寺として今日に至っています。
日蓮上人守護国家論に曰く
この土を捨てて何れの土を願うべきか。(中略)この経を信ずる人の所住の処は即ち浄土なり。
平成16年6月1日