法雨抄

子どもの身になって1998年08月01日

 暑中御見舞申しあげます。

「学校は行かねばならないところでも行かされて行くところでもなく、自らが選べるところである」という意識改革が、現代教育を再生させる道である。 と主張する東京シューレ(登校拒否の子どもたちの為のフリースクール)主宰の奥地 圭子さんは
「学校に行く子は正常で、行かない子は克服すべき問題を抱えた子、学校に適応しな い子は社会に出ても適応できないーなどと登校拒否の子どもを異常視しないで、不登校は子どもの気持ちの表れと大人が認識し尊重する必要があると思います。
首に縄をかけても強制的に学校に行かせようとするのではなく、学校に行くか行か ぬかは、本人の意思を尊重する。高学歴社会の価値観や世間体からではなく、その子ども自身に合った成長を本人とともに考え色々な道があることを理解して、子どもの立場に立って考えることが大切なのです。」とも述べている。(MOKU 七月号)
教育と言うのは教え育てることで、育てるにはある程度の強制が必要であると言う 考え方があります。昔ラテン語の教科書に
「先生私にラテン語を教えて下さい」
「よろしい、打たれてもいいのだね」
こんな問答が載っていたそうです。
今日では教授法や児童心理学が発達して子どもたちは、かんで含めるように教えら れており、学校でも家庭でも、勉強第一で、勉強さえしていれば良い子であると甘やかされ、善悪の分別を含めた人間教育がおろそかにされ、その結果は自分本意で、他人と協同出来ない子どもたちが増えています
奥地さんの言う通り、今本当に求められるのは、子ども自身に合った成長を、子どもの身になって考えてあげることではないでしょうか。日蓮上人は阿仏房尼御前御返 事に対人法の心得を述べて、
「浅き罪ならばわれより許して功徳をえさすべし。重き過ちならば、信心を励まして消滅さすべし」と。

(平成10年8月1日)

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