法雨抄

節分に思う2006年02月01日

 二月になっても厳しい寒気の到来が心配されていますが、それでも「節分」だ「立春」だというと何か心の安らぐ思いがします。
 「節分」は季節の分かれる時という事で、本来は立春、立夏、立秋、立冬に移る時をすべて「節分」と言ったものが、何時のころからか「立春」に限られるようになりました。これというのも厳しい冬の寒さから開放される喜びが大きかったからではないでしょうか。
 古来春の初めには神が訪れて祝福を与えて下さるという信仰があり、家に神を迎えるには邪鬼を払っておかなければならないということで、「鬼打ち」「鬼やらい」の行事が行われたということのようです。
 「鬼は外、福は内」と大豆を撒いて鬼を駆逐することは、中国の風習を採り入れて、文武天皇の治世に始めて行われたという記録がありますが、本草綱目にも「大豆は時気を避け払う」とあり、俗に豆が魔目(まめ)魔滅に通ずるところから、豆を打って鬼の目をつぶし、魔を滅すことに寄せたと言われています。
 インドでは死者の霊を「鬼」といいましたが、死者の霊にかぎらず、もともと凶暴な霊もあり、それらをすべて「鬼」と称したことから、人間に災いをなすすべての精霊を「鬼」と称するようになったようです。
 源氏物語には、鬼は人間世界には、顔が怪奇で、目・髪・手の指・爪・眼光などが異常なものもあり、美男美女に化けているものもある、と書かれていますが、恐ろしいのは美男美女に化けた鬼たちではないでしょうか。昨年度はこの美男美女に化けた悪鬼のなす災いが何と多かったことでしょう。
 日蓮上人は立正安国論に曰く
 世みな正に背き、人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り、聖人は所を辞して帰らず、これを以て魔来たり、鬼来たって、災起こり、難起こる、と。
 三思、三省、新しい気節を迎えましょう。

平成18年2月1日 「節分に思う」

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