法雨抄

ボランティアに思う2004年11月01日

  新潟中越地震に心からお見舞い申上げます。そして不幸にしてお亡くなりになった方々に対しては深く合掌礼拝お悔やみ申し上げます。長崎新聞の投書欄に
 台風、大雨で被害を受けて解決しないうちに大地もろとも揺るがす地震。家は崩壊し、道路は寸断され、がけ崩れは車も家ものみ込んだ。
 余震は断続的に続き、いつ襲ってくるか分からない状況。立ち直れないくらいの被害を受け、避難所で不安な生活を送っている人々の様子が報道されている。
 生涯をかけて作り上げたすべてをなくしてしまったと肩を落とす人、食料のパンが届いたが、全く足りず立ち尽くす少年の顔、見ていてつらい。
 自衛隊の輸送、消防庁のレスキュー隊の懸命な活躍などを見て少しは救われる。・・・
 国や県、市町村の大きな協力での復興支援を心から願い、被害を受け避難生活を送っている方々へ希望の光を与えて欲しいと思う。私も自分のできる方法で協力したい。と、西藤というご婦人の投書がありましたが、これは本当に日本中の皆の願ではないでしょうか。
 車の中での避難生活からボランティアの人々の提供したテントに移って、足を長く伸ばして寝ることが出来て嬉しかった、という方々の声を聞けば、ふだんの何でもないことがどんなに幸せなことかと身につまされます。
 そしてその方々のために一生懸命働いてくれている若いボランティアの姿を見て、まだまだ日本は大丈夫だと思いました。
 天変地異、飢餓疫病にあえいだ鎌倉の時代に、互いに手を取り合い、助け合って、皆で幸せになろう、と立ち上がった日蓮上人の思い切なるものがあります。
 立正安国論に曰く
 汝すべからず一身の安堵を思わば先ず四表の静謐(せいひつ)を祈るべきものか。

平成16年11月1日 「ボランティアに思う」

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