法雨抄

自分を肯定しよう2004年04月04日

 世の中には「そのイヤリング全然似合わないから、やめたほうがいいよ」とはっきり言える人が存在する。なぜ彼は、そうした<真実の言葉>を平然と吐くことができるのだろうか?
 それは、彼が相手の存在を全面肯定しているからである。相手の<全体>を肯定している自信があるから、イヤリングと言う<部分>を否定することに、何のためらいも感じないのである。そして、「似合わないよ」と指摘することは、相手の未来の幸せに貢献する。彼女は、別のタイプのイヤリングを買うようになるからだ。もちろん、一時的には彼女は憮然とするかもしれない。しかし、大局的にはストレートな会話が出来るようになり、いずれ彼女は、常に本当のことを言ってくれるあなたを心から信頼するようになるだろう。・・・中略・・・
 相手を肯定するためには、まず、自分自身が楽しく生きる必要がある。なぜなら人は、楽しい自分、嬉しい自分しか肯定することが出来ない生き物だからである。自分を肯定できるようになると、おのずと人を肯定できるようになる上、自分に自信ももてるようになる。
 これは「プレジデント」に載った香川大学教育学部岩月謙司教授の所論の一節です。
 自分と言うものは確かに自分には分からない存在です。だとしたら、教授がおっしゃるように、先ず、自分が楽しく生きることを学んでみようではないですか。
 私たちの祖師日蓮上人は、鎌倉時代のあの人間不信の時代に、とことん人間を信じきった人ではなかったでしょうか。自分を裏切った人に対しても、否定し去るのではなく、それを逆縁としての立ち直りを信じておられました。それは自分が仏様の真実に生きていると言う、自分への絶対肯定があったからだと思います。
 南条兵衛七郎殿御返事に曰く、
 教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉弾の胸中に秘し持てり


平成16年4月4日 「自分を肯定しよう」

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