法雨抄

鉛筆の木2002年04月01日

  筆入れは言うまでもなく、通勤靴の底やリュックのポケット、あるいは上着の内ポケットなどに、芯の太い4Bか5Bの短い鉛筆を常備している。......
 私はキャップや補助軸の助けを借りて、ナイフでも削れなくなるまで大切に鉛筆を使う。子どものころには分からなかったこの筆記具のすばらしさ、あたたかさに感謝しながら、最後まで書く。
 小さくなったそれらの木片を私は「チビ鉛筆」と呼ぶ。......
 10ミリ以下になった「チビ鉛筆」は、海辺で拾った貝殻みたいに、あるいは抜け落ちた真っ白な子どもの乳歯みたいに、蓋つきのガラスビンに保存しておく。老舗の定番ばかりなので、色合いも渋く、数が集まると植物の種のようだ。いつの日かそれらを、近所の公園にでも、こっそり埋めてやろうかと思っている。鉛筆の木が生えるのを夢見て。
 これは、毎日新聞コラム欄ダブルクリックに有った作家堀江敏幸氏の「鉛筆の木」の一説です。
 はしなくも、私は数年まえ、小学生の子どもの、"鉛筆は我が身を削って人の役に立っている"という様な短い詩を新聞で読んだ事を思いだしました。
 使い捨ての多い今日、ちびた鉛筆など人は見向きもしないでしょうが、鉛筆一本にだって命が有ると思うのです。命が有るから人の役に立つ事が出来るのではないでしょうか。その命を全うさせてやる事が鉛筆の成仏です。これを法華経では草木成仏といいます。堀江さんのように使ってやったら公害もなかろうし、鉛筆も満足というものでしょう。
 堀江さんの鉛筆の種はきっと立派な鉛筆の木となるでしょう。

 日蓮上人四條金吾釈迦佛供養事に曰く
 「この法門は衆生にて申せば促身成仏といわれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり」云々。

平成14年4月1日 「鉛筆の木」

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