法雨抄

人間関係の自覚1999年06月01日

 永 六輔氏は「商(あきんど)人」の中で次のような小話を披露しております。
 使用人が二十人もいようという大きな商家の旦那が、遊んでいる丁稚を見て、十人でもやっていけるんじゃないかと思い、半分に暇をだしてしまう。
と、これが十人でもやっていける。
それじゃってんで、五人でもがんばればなんとかなるだろうと、五人に。 それじゃ三人に! 二人に! 一人に!
一人でもなんとかなることがわかって、じゃ使用人はいらない、夫婦で・・・
夫婦二人でも切り盛りができた。
よし、それならと、女房に三行半(みくだりはん)。
朝から晩まで、主人一人で店の切り盛りをすると・・・
これができる。
それじゃってんで、この主人、・・・・首を吊って死んでしまいました。
 そして「この小話は、合理化を笑っているようでもあり、商人の生き方を示しているようでもあります。勝手にクビにされる側はたまったものではありませんが、だからこそ、こういう小話で笑ったのでしょう。」とコメントしております。
 この小話のように、一人ででも仕事が出来るうちはまだいいのですが、それでも一人では駄目なんです。規模が大きくなれば人を雇わなければなりません。そして何人かの人が心を合わせて、初めて会社存立の目的が遂げられるのです。その為には、会社は営利を目的としながらも、その事業が世の為、人の為、世の中を明るくする為にもあるんだ、従業員はその同志だという人間関係の確立が大切なのではないでしょうか。人間関係の根本は相手を拝む心であります。法華経の中で不軽菩薩は人を拝む事によって、人間尊重を教えました。人は拝まれる事によって、世の為人の為に働く事の尊さを知るのではないでしょうか。

 日蓮上人崇峻天皇曰く
 釈尊出世の本懐は、人の振舞にて候いけるぞ。

 (平成11年6月1日)

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