法雨抄

加点法1998年03月05日

『なぜ中学生は「キレる」のか』ということで、「仏教タイムス」に 無着成恭氏が寄せた解説の中に、教育の在り方について意見が述べられていた。
人間を減点主義教育で育てようとしても育たない。
テストする前に全員に百点あたえておいて、後でここ間違っているから五点 引くという形式での人間評価の方法は破産していると言っていいだろう。
私たち昭和一桁の人間は刃物をきちんと使えるようになること―これが人間に なる条件であった。鋸で木をひく。かんなをとぐ。板をけずる。のみで穴をあける。錐をもむ。このように動詞で示されている仕事を身につけていく課程の中でヒトが人間になっていった。
家庭の生活の中でも雑巾をすすぐ、しぼる、拭く。茶碗を洗う。庭を掃く―などという仕事をとおして動物としてのヒトが、ヒトとヒトとの間でどのように生きることが人間なのかを学んだ。
そういう学び方のことを加法点という。そのような仕事をとおして、しなやかな心と、人を思いやるやわらかな心が育てられた。心のしなやかさや、やわらかさは加点法でしか育たないのだということを、今こそ思い返すときではなかろうか、と。
減点法というのはマイナス思考であり、減点をされないように、されないようにと自己保身に走り、他人の減点を喜ぶ様な人間を作ってしまうのではないでしょうか。
これに対して、加点法というのはプラス思考で、例え失敗しても、却ってそれを踏み台として、積極的に自己改善に向かって前進し、同時に周囲をも引っ張って行くような人間を作るでしょう。
勉強は嫌いでも、走りっくらは速いと自信を持たせたて貰った頃を思い出します。
その様に、私たちが仏を頂いて、生活の勇気をわかせ、処世の知恵を生み出してゆく心の世界が信仰です。
日蓮聖人は檀越某御返事に曰く
「お宮仕えを法華経とおぼしめせ」と。

(平成10年3月5日)

法雨抄一覧へ戻る