法雨抄

みんなちがってみんないい1997年10月01日

小学三年の国語教科書に、金子みすゞの
「わたしと小鳥とすずと」
という詩がのっています。これに興味を持った せと口まい ちゃんは三連休に、みすゞのふるさとと仙崎へ行きました。
その時の事を新聞に投書しております。
はじめに、家族そろって「くじらばか」へ行きました。とったくじらのおなかの中に、とてもちいさな赤ちゃんが入っていたそうです。その赤ちゃんたちのおはかにおまいりました。みすゞが、くじらのことを詩にしていました。
「おきでくじらの子がひとり、
その鳴るかねをききながら、
死んだ父さま、母さまを、
こいし、こいしとないています」
・・・・・・
みすゞのおはかには、小さなむらさきの花がありました。二十六さいでしんでしまうなんて、どうしてかなと思います。お母さんは「やさしすぎたのかな」といいますが、やさしいから死ねなんてへんと思いました。
私は長生きしたいです。でも、長生きするには、ちょっとくらいいじわるもできないといけないなら、こまると思いました。。と、何と素直なお嬢ちゃんでしょう。
「わたしと小鳥とすずと」では最後に
「すずと、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい」
と結んでいるように、みすゞの世界はすべてを肯定して共に生きる世界です。みすゞの詩に感動したまいちゃんには「やさしいから死ぬ」などということはとうてい詳しがたい不条理であり、「長生きするには、ちょっとくらい意地悪も出来ないといけないなら、こまる」とは、正に大人社会に対する痛烈な皮肉ではないでしょうか。
願くば本音の通る、正しいことの通る世の中でありたいものです。
日蓮聖人は垂迹法門に
水至って清ければ魚住む事なし、人至って賢ければ友なし、といえども天の加護し給う所なり、と。

(平成9年10月1日)

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