法雨抄

命と申す物は2008年02月01日

  長崎市は暴力追放のシンボルとして「暴力追放の碑」を作りますが、此れについて対馬市の高校教員加賀氏は言う、
 自分の「いのち」が尊いと思うならば、他人の「いのち」も尊ばなければなりません。大きな目で見ると一人ひとりの人間は、いろんなところでつながりながら、互いに助け合って大樹のような姿をしているのかもしれません、
と。(長崎新聞「声のひろば」)
 自分のいのちは自分のいのち、他人のいのちは他人のいのちなんだが深い次元において考えると、自分と他人とは、袖触れ合うも多生の縁などというように、因縁によって結び付けられているのです。自分のいのちだが、それは他人のいのちでもあるんじゃないでしょうか。みな大切ないのちです。
 日蓮聖人は依法華経可延定業に曰く、
 「命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれをのぶるならば千万両の金にもすぎたり」

平成20年2月1日 「命と申す物は」

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