法雨抄

公  平2007年05月01日

 伊藤一長 長崎市長 凶弾にたおる。
 衝撃は全国に走った。四月十七日選挙遊説から事務所に帰ったところだったという。
 自分の思い通りにならなければ、テロ行為に訴えるという短絡的行為は卑劣そのものだ。しかも、犯行の動機は、市のやり方が公平を欠くといういわれなき私怨にあったようだが、それが平和を訴える長崎に於いて起こった事がやるせない。
 それにしても、最近人権軽視の事件があまりにも多すぎる。武器を持って、気に食わないものを、弱いものを情け容赦もなく切っていく。日本は何時からこんなに人の心を失って、強いもの勝ちの不公平な社会になってしまったのでしょうか。
 数学者でエッセイストの藤原正彦さんは長崎新聞の「こんにち話」で
 新自由主義の経済体制自身が弱い者いじめです。みんな公平に闘うのだから、勝った方が全部取って何が悪いのかというこのなんでしょう。世界中が今「公平」という言葉に酔っているようです。私はそんな事は絶対に信用しない。
 例えば小学六年生と一年生が、公平に闘うなんてことは絶対に赦してはいけません。どうしても、というのなら一年生にハンディをあたえなければなりません。
と語っています。
 「新自由主義の経済体制自身が弱い者いじめ」とおっしゃるが、自由主義経済社会の論理は競争の論理ですから、勝者があれば敗者があります。然し、勝者は戦って破れた敗者のその痛みを分かち合って、共存共栄の道を図ることが大事ではないでしょうか。真の公平というのは、こうした勝者と敗者が共に栄えていく世界の消息ではないでしょうか。いわれなき数合わせ平等は悪平等です。『「公平」という言葉に酔っている』今の公平もまた悪平等ではないでしょうか。されば、日蓮聖人は兄弟抄に六波羅蜜経の文を引いて曰く
 心の師とはなるとも心を師とせざれ、と。

平成19年5月1日 「公  平」

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