法雨抄

天知る、地知る2006年01月01日

今年が佳い年でありますよう
お祈り申しあげます。

 昔の中国の話ですが、後漢の孝安帝に仕えて「関西の孔子」といわれた楊震(ようしん)がまだ地方の長官をしていた頃、秀才と歌われた王密(おうみつ)を昌邑(しょういう)の役人に抜摺したことがありました。
 楊震の知遇に感激した王密はある夜、楊震の邸を訪ねてお礼の挨拶とともに、
 「これは心ばかりのお礼のしるしでございます」
と、莫大な黄金の包みを差し出しました。
 楊震は直ぐ拒絶しましたが、王密はなかなか包みを引っ込めません。
 「折角持ってまいったものですし、今夜のことは誰にも知れることはございませんので、どうか御納めくださいますように」
 王密の言葉が終わらないうちに、楊震の顔が急にひきしまりました。
 「何と言わるる。誰も知らぬと言わるるか、現に天地は見ているではないか、私も知っている。君も知っているではないか」
 王密は真っ赤になってうつむくだけだった、といいます。
 昨年は倫理道徳喪失の大変な事件が起こりましたが、何でこんなにまで道義がすたれてしまったのでしょうか。皆金銭の奴隷になってしまった結果です。
 人間関係において金銭はその終末処理の問題として避けられないものではありますが、金銭は魔物ですから常に自分から間隔を置いて処理することが大事なのではないでしょうか。そうすれば金銭はお宝となるでしょう。
 日蓮上人は弥源太殿御返事に曰く、
 銭というものは用にしたがって変ずるなり。法華経もまたまたかくのごとし。やみには燈となり、渡りには船となり、・・・

平成18年1月1日 「天知る、地知る」

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