法雨抄

裏を大事に2005年12月01日

 昔は心のことを「うら」といいました。
 表面に出ている顔などを「面」(おもて)というのに対して、隠れている内面は、「うら」とか、「下」(した)という言葉で表したのですね。
 ただ、「うら」の方は、隠すわけではなく、表面に現れない心のことで、「下」の方は表面に現すまいとして、こらえ、隠している心をさすという違いはありました。
 心恋は、心の中で、恋しく思うこと。まだ恋を意識しはじめたころの、あまく淡い想いです。おなじようですが、「下恋」(したごい)という言葉もあります。これはきっと、誰にも知られたくない想いでしょう。
 それにしても、心の裏をかく人や、下心の或る人が増えて、「うら」も「した」も、印象のいい言葉ではなくなってしまいましたね。(山下景子著、「美人の日本語」より)
 昔から日本人は「うら」を大事にしてきました。着物などにしても、表もさることながら、裏に贅を尽くしたものでした。そしてそれがいかにも粋に感じられたものでした。隠してもチラチラと見えてくる裏の美しさが人々の心を楽しませ、床しさを感じさせたものでした。
 特に人のこころの美しさというのは隠そうとしても、おのずからおもてに滲み出してくるものなのではないでしょうか。皆がそういう「うら」の心を磨き、その美しさが床しくにじみ出して、周りを潤していくならば、世の中はもっと明るく、楽しいものになっていくでしょう。
 ところが、今は表は華やかですが、裏はゴツゴツ、或いは裏も表から丸見えの薄っぺら、或は裸の王様みたいな、「うら」の床しさなど持ちあわせてもいないようなのが多くなってきたように思えてなりません。
 ではどうしてその「うら」を磨いていけばいいのでしょうか。
 日蓮上人は一生成仏抄に曰く
 只南無妙法蓮華経と唱えたてまつるを是(心)をみがくとはいうなり。

平成17年12月1日 「裏を大事に」

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