法雨抄

行動する生き方2005年10月01日

 若くても輝きを失っている人がいるし、年をとっても輝いている人がいる。・・・
 ある定年退職者が「40年近く通勤と言うムダな時間を過ごした」という。通勤時間がムダだったのだろうか。ムダなのは通勤ではなく「ムダと思う人」ではないのか。通勤は一定の時間の中で過ごすので、何か決まったことを行うことが可能だ。
 たとえば、この時間帯にかぎって普段読まない本を読むとか、語学学習のテープを聴くとか、毎日の習慣の一つになりやすい。また、時には考える時間にもなる。通勤という細切れタイムを、まとまった知識を蓄える時間にしている人も数多く存在している。
 大切なのは行動に移す「考え方」であり、そこにはそれぞれの「生き方」が出てくる。今の自分に「行うことがある」というものが必要だ。自らが行うことを、見つける努力をし続けておかねばならない。与えられた生きがいは消えてしまうことがあるが、自発的に行うことがあれば、末永い本当の生き方につながっていく。
(人間医学:若狭真氏「生きがいより生き方」より)
 今の自分に「行うことがある」という生き方があれば、年齢に関係なく、輝く生き方ができるのではないでしょうか。要は過去にああだった、こうだったが問題ではなく、今の自分を如何に充実させるかということでしょう。生涯教育が言われるゆえんもここにあるのだと思います。
 そして信仰の世界こそ正しく其の通りの世界ではないでしょうか。常に仏を仰ぎつつ、いつも自分を磨くことを忘れず、精進して行く姿がそこにあります。
 日蓮上人上野殿御返事に曰く
 今の時、法華経を信ずる人あり。或は火の如く信ずる人もあり、或は水の如く信ずる人もあり。火の如くと申すは聴聞するときは燃え立つばかり思えども、遠ざかりぬれば捨つる心あり、水の如しと申すはいつもたえず信ずるなり。

平成17年10月1日 「行動する生き方」

法雨抄一覧へ戻る