法雨抄

もったいない2005年07月01日

食事を残すのは、とてもお行儀の悪いこと。お米の一粒一粒には、作った人々の大変な苦労と思いが宿っています。だからこそ、ごはんは最後の一粒まで、ありがたくいただく。
これこそが、日本人の心に生きる「もったいない」の精神です。
 これはノーベル平和賞受賞のケニア環境副大臣ワンガリ・マータイさんの「もったいない」と言う本の第一章です。彼女は「初めて日本語の『もったいない』の意味を知った時、世界へのメッセージとして大事な言葉だと直感しました」
と述べ、さらにこの本の解説でしょうか、「もったいない」とは のなかで、
「もったい」とは、物の本体を意味する「勿体=物体」のこと。「ない(無い)」は、それを否定したもので、本来は、物の本体を失うことを指す言葉でした。また、「もったい」には重々しく尊大なさまという意味も有り、それを「無し」にすることから、畏れ多い、かたじけない、むやみに費やすのが惜しいという意味で使われるようになりました」
と。ケニア副大臣が感動した「もったいない」という言葉はもう日本では末期症状的な言葉になり、やがて消えていく運命にあるように思えてなりません。
 昔から、お米は人の手間が八十八度もかかるところから、八十八と書いて米と読んだのだと教えられ、こぼしたご飯粒は拾って食べなさいと教えられたものですが、ご飯の食べ残し、落としたお菓子なら拾ってごみをはたいて食べるのに、こぼしたご飯は不衛生とごく当たり前のように捨て去ってしまう感覚で「もったいない」の心まで捨ててしまっているのではないでしょうか。
 日蓮上人曾谷殿御返事に曰く
 米は少しと思し召し候へども人の寿命を継ぐ物にて候。命をば三千大千世界にても買わぬ物にて候と仏は説かせ給えり。

平成17年7月1日 「もったいない」

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