法雨抄

魂の練磨2005年03月01日

 京セラの稲盛和夫さんは「生き方」という本の中で、『魂を磨いていくことが、この世を生きる意味』として
 私たち人間が生きている意味、人生の目的はどこにあるのでしょうか。もっとも根源的ともいえるその問いかけに、私はやはり真正面から、それは心を高めること、魂を磨くことにあると答えたいのです。
-中略-
 生きていくことは苦しいことのほうが多いものです。ときに、なぜ自分だけがこんな苦労をするのかと神や仏を恨みたくなることもあるでしょう。しかしそのような苦しき世だからこそ、その苦は魂を磨くための試練だと考える必要があるのです。苦労とは、おのれの人間性を鍛えるための絶好のチャンスなのです。
 試練を「機会」としてとらえることが出来る人-そういう人こそ、限られた人生をほんとうに自分のものとして生きていけるのです。
 現世とは心を高めるために与えられた期間であり、魂を磨くための修養の場である。人間の生きる意味や人生の価値は心を高め、魂を練磨することにある。
と述べておられるが、今は本当にこの生きる意味が見失われ、誰も彼もが、利につき、名誉につき、快楽に走って、それを邪魔する奴は容赦なく切り捨てて、自我に固執し、他者の存在を認めようとしないような状況にあるのではないでしょうか。
 しかし、そうしたものはやがては滅びる定めにあります。真の人間の利とは私たちの魂に蓄えられたエネルギーは世間の苦と向き合い、その中で魂の尊厳を求めての練磨精進によって自然に醸成されていくものでしょう。日蓮上人は法華経による魂の練磨を四条金吾殿御返事に示して曰く
 この経を持たん人は難にあうべしと心得て持つなり

平成17年3月1日 「魂の練磨」

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