法雨抄

命は一身第一の宝2004年08月01日

暑中お見舞い申しあげます

 原爆第60回忌の夏を迎えることになりました。今日の長崎新聞の城谷 香(68)さんの投書には
 私は長崎の原爆投下を数日後に知り、投下の日に西の空の太陽が深紅の色をしていたことを今でも記憶している。数多い大人や子どもたちも犠牲になり、尊い命が失われ、思い出すだけでも悲嘆に堪えない。
 時代は変わり、半世紀以上過ぎた現在は、また別の意味で人命軽視の世の中になっている。幼い命が一中学男子によって奪われ、女子小学生によってまた命を奪われた。せんだっては、こともあろうに前途ある女子高校生二人が屋上から飛び降り、あたら若い命を自ら絶っている。
 世知辛い世の中で生きていくことは、常に困難が伴うかもしれず、長くつらい道のりかもしれない。だが、せっかくこの世に生まれてきた命。若人たちは天から与えられた尊い命を、自他の区別なく大切に力強くいきてほしい、と訴えてありました。
 同感です。私はあの原子雲を一部始終見ておりました。その夜の長崎の夜空の真っ赤に燃えていた有様がまだはっきりと瞼の裏に残っています。投下四日目に現地に足を踏み入れた時の様子はこの世のものとは思えませんでした。それはまさしく地上最大の人命軽視の地獄図でした。
 あの時以来私たちは生きることの尊さをいやと言うほど考えさせられてきたはずなのに、事故死を含めて、最近の命に対する軽視は憤りを感ぜずにはおられません。自分の命と思うかもしれませんが、それは決して自分だけの命ではありません。生きとし生けるもののすべての命なのです。
 日蓮上人 可円定業御書 に曰く
 命と申すものは一身第一の珍宝(たから)なり。一日なりともこれをのぶるならば千万両の金(こがね)にもすぎたり。

平成16年8月1日 「命は一身第一の宝」 

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