法雨抄

船と錨2001年11月01日

  連日の報道でジハード(聖戦)などの言葉はすっかりおなじみになったが、肝心のイスラム教とはどんな宗教かと言う点になると大抵の人は漠然とした印象しか持っていないようだ。
 私も特に詳しいわけではないが、「ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も予言者が違うだけで、同じ神を信仰している」と言う話しをすると、ほとんどの人がびっくりする。イスラム教に限らず、他の宗教ついても基礎知識が無いのが一般的だ。これは普通の学校教育では宗教の歴史は教えても宗教の内容には触れてこなかったこと、日常生活で宗教知識がほとんど必要とされなかったことが原因だろう。・・・・
 幸い日本は特定の宗教の影響が少ないので、偏見を持つことなく学ぶことは他の多くの国々よりは容易なはずだ、(朝日新聞 都城市吉村さんの投書より)と。
 果たしてそうでしょうか。特定の宗教の影響が少ない、つまり自分の信仰を持たないと言うことは判断の根拠となる物を持っていないということで、却って混乱してしまうことにならないでしょうか。
 イスラム原理主義の正邪は別として、イスラム教徒の信仰の強さがわからないと問題を益々分からなくしてしまうように思えてなりません。
 信仰というのは、船の錨のような物だと言った人がありますが、嵐に遭遇した時、錨の無い船は嵐のまにまに翻弄されて、何処へ吹き流されるかわかりません。然し、錨の下りている船は、安心感を持って嵐と戦い、嵐が止めば元の自分のいた所にとどまっています。但し、その錨が船に対して適正であるかどうかが問題です。
 適正な錨、正しい信仰は私たちに希望と勇気を与え、私たちの人生を豊にしますが、間違った信仰は却って我が身を滅ぼします。
 日蓮上人経王殿御返事に曰く
 法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用うることなれ。鬼に金棒なるべし。

平成13年11月1日 「船と錨」

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