法雨抄

真の大人2001年09月01日

 日本の社会には大人がいないと思う。・・・
 親や教師の大半は子供の成績を伸ばし、「いい学校」に入れてやれば自分たちの責務は果たせたと思っている。
 マイホームを建て、子供に立派な部屋を提供してやる事が大人の証ではない。会社で出世をしてさまざまな肩書きを身につけた人を大人とよぶのでもない。真の大人とは金銭や肩書きを一切抜きにして、「自分の生き方」を語れる人間のことなのである。
 この国は勘違いしている大人たちが多すぎる。本人たちが建前社会の中で、大人を自任し、錯覚したまま世を去っていくことは、「因果応報」だ。問題は「その種の大人たち」に育てられた子供たちなのだ。
 これは毎日新聞「みんなの広場」へ、東京青梅市の塾教師西岡さんが寄せた「今の日本は真の大人がいない」と言う投書の一節です。
 大人と言うのを大辞典で引いてみると
 大人成(おおひとなり)の義なり1.十分に成長したる人の称
とあります。大人になると言うことは心身ともに成長することでなければならないと思います。身体の成熟は早い時機におわりますが、その上に自分の魂の向上が伴わなければ本当の大人とは言えないのではないでしょうか。つまり常に心を磨き、人格の形成と実力の涵養を心掛ける人のことを大人と言うのだと思います。
 昭和の始め我が国が国の社会事業と文化事業の発展を援助する為に三井が報恩会を作ったとき、理事長として数々の業績を残した米山梅吉は、その人格が磨かれて円満になって行く事を「常識」と言いました。そう言った意味での常識を備えた人であってこそ真の大人と言えるのではないでしょうか。
 日蓮上人は崇峻天皇御書に
 教主釈尊の出世の本懐は人の振舞いにて候いけるぞ
 と。人格が磨かれ、自ずから理に適う行動が取れることを成仏とも言うのです。

平成13年9月1日 「真の大人」

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