法雨抄

因果の道理2001年06月01日

  「物事を考える時に始めがあって終わりがありますよね。そのつながりは、いろんな経験から知っている。たとえば、コーヒーを五杯飲むとお腹を壊すということは経験から知っていますよね。その経験からではなく、コーヒーにはカフェインという成分が入っていて、カフェインは肝臓に影響がある。肝臓に刺激があるとホルモンの分泌が変わり、それが作用してお腹が壊れるってわかれば、二杯までは平気なことがわかる。飲むことと、お腹を壊すことのつながりが理解できると、今度はそこから類推して、緑茶をガブ飲みしようか、というときに『カフェインが入っているからある程度でやめる』ことが判断できる。つまり自分が経験しないことでも、ある原理を知っておくと、結果を予測できるんですね。云々」
 これはシグネチャー六月号の壇 ふみと宇宙飛行士毛利 衛さんとの対談の中の毛利さんの発言の一節です。
 人間が賢く生きるには、始めがあれば終わりがると言う因果の理法を如何に正しく理解しているからと言うことにある。と申してもいいかもしれません。
 仏教で説く所も因果の理法です。只仏教では因果と申しますように、因と果との間に「縁」の力を大変大事に考えるのです。
 因が直接原因とすると、縁は間接的原因と言うか、条件と言ったらいいでしょう。種を播けば芽がでます。そこで水とか太陽の熱とか、その芽が順調に伸びる為の条件や環境の整備が必要だということです。
 私たちが幸せでありたいと願うならば、人は皆仏の子と言う因はあっても、更に自分を磨き向上しようと努力する縁が大事だと思うのであります。
 過去の因を知らんと欲すれば現在の果を見よ、未来の果を知らんと欲すれば現在の因を見よ
 で、未来も過去もひっくるめて、現在を力一杯生きることが要請されているのです。

平成13年6月1日 「因果の道理」

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