法雨抄

いのちと申す物は2000年08月01日

 私は子どもの頃から、この世に生まれて来たことに、大きな神秘性を感じてきました。自分自身が神秘的な存在であり、壮大なミステリーの一部である、と感じたのです。
・・・この世界は、実に不思議な存在だと思います。私は不思議な世界の一部である。そう感じています。
 しかも、私がこの世界に存在するのは、世界が刻んできた過去と、未来という氣の遠くなるような歳月のほんの一瞬にすぎません。-中略-
 私自身が「自分は誰なのか?」と問いかけた時に、たどり着く先は、「今、ここにいる肉体としての私」ではなく、地球の四十億年の進化を代表する存在であるということです。四十億年の歴史を踏まえた存在だと知るのです・・・。
 私たちは、霊長類として自然の一部であり、長い歴史の一部です。現代人はそういう視点を忘れがちです。
 これは一人の少女が「生きることの意味」を問い直す「ソフィーの世界」と言うベストセラー本の著書ヨースタイン・ゴルデル氏がサンデー毎日に載せたメッセージの一部です。
 その後もハイティーンの人命軽視の極悪な事件が心を暗くしております。
 私たちの命は四十億年の命の流れの中の一瞬の泡のようなものかもしれません。しかし、だから其の一瞬の泡の命がいとおしいのです。一瞬の泡の命が尊いのです。其の泡は四十億年の歴史の最高の結実でもあるからです。仏教ではこれを「久遠実成」といいます。私たちはこの命の本体である久遠の本佛の功徳によって生かされているのです。これほど不思議なことはないでしょう。日蓮上人依法華経可延定業に曰く

「命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれをのぶるならば千万両の黄金にもすぎたり」と。

平成12年8月1日 「いのちと申す物は」

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