法雨抄

木と森1999年07月01日

 英国南ウェールズ生まれの作家C・W・ニコルさんは「どうして私はこんなに日本が好きなのか」というほどの方でありますが、こんな話をしております。
 私は日本の豊かな時代を見ました。日本の森を三十六年前からずっと見てきましたが、特に、日本が豊かになってからは、残り少ない原生林をバサバサと切っています。
 おかしいことです。戦争が終わった頃は、街が焼かれて家を建てなくてはいけないので、森を犠牲にするのに文句を言う人は一人もいませんでした。しかし、お金がある国がとんでもないところ、つまり水源地で原生林を切りはじめたのです。
 私は、森の破壊を、南ウェールズやエチオピアで見ました。国立公園の周りで森を切り、土を流し、国が砂漠になり、人が餓死し、ネズミやヒヒが増え、病気が蔓延し、革命がおこる。そういった状況をこの目で見ています。木は切ってもいいが、森を切ってはいけません。(ロータリーの友六月号「森の時間」)
 環境保全の問題が今一番の社会問題ですが、乱開発による環境破壊の結果が集中豪雨の度ごとに無残な様相を呈して、尊い人命まで奪われています。
 「日本が豊かになってから原生林をバサバサ切っている」という指摘は誠に耳の痛い言葉です。私たちは豊かさにおごり、飽くことなく利益を追求し、次第に自分自身を追いつめていながら、それに気が付かないふりをしているのではないでしょうか。
 「木は切ってもいい」と言っても、勿論それには限度があります。森まで無くなさないように、やって良い事と悪い事とのけじめが大事でしょう。
 木を見て森を見ず、とか申しますが、木と森のバランスが大切です。森を失えば人間の命にも影響があるのです。
 人間の欲と生きる為の要件とのバランスを崩しては元も子もありません。

 日蓮上人は兄弟抄に涅槃経の文を引いて
「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」
と戒めておられます。

 (平成11年7月1日)

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