法雨抄

呼び合い 思い合う1999年02月01日

最近、名前を呼ばれても返事をしない人が多いと思います。
私は外来勤務の看護婦なので、一日に百人以上の方の名前をお呼びしています。ところが、その中でも、「ハイ」と返事をしてくれるのはごくわずかです。
学校などで名前を呼ばれているはずの子供さんも、名前を呼んでいるはずの先生たちも「ハイ」と言ってはくれません。
この人たちは学校でどのように出欠を取っているのかと不思議になります。
そのせいか、私自身が患者になったときには、だれよりも大きな声で返事をするようになりました。
せんだって、M新聞の投書欄のすみっこに浦和市の看護婦Nさんのこんな投書がピカッと目に飛び込んできました。
おっしゃる通り、「ハイ!」という明るい返事が最近すくなくなっていることは残念なことです。返事は呼ぶ人と呼ばれる人との関係を確認し、コミュニケーションを計ることですから、自分の名前を呼ばれて返事をしないということは、面倒くさいか、自分に自信が持てないか、或いは、お前みたいな者に気安く名前を呼んでもらいたくない、という自意識過剰のせいではないでしょうか。
然し、人間社会は互いに呼び合い、思い合うところに成り立っているのです。夫と妻がよびあい、思い合い、父母と子が呼び合い、思い合っていれば、家庭に夫婦、親子の問題などは起こり得ない筈です。
信心もまた然りです。仏の呼びかけを良く聞いて此れに答え、私たちからも常に仏様を思いつづけることが大事ではないでしょうか。

日蓮上人同生同名御書に曰く、
幼子は母をしらず、母は幼子を忘れず。釈迦佛は母のごとし。・・・二人互いに思えるはすべてはなれず。一人は思えども、一人は思わざればある時は合い、ある時は合わず。仏は思う者の如し、・・・我等仏を思わばいかでか釈迦佛見えたまわざるべき。

(平成11年2月1日)

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