法雨抄

相手の身になって1998年07月06日

「いのちの電話だより」の冠頭文の中で、県の精神保健福祉センター所長は次のようなメッセージをよせていました。
受け手にとって初めてのひとが、いきなり「人にバカにされて辛いんです」と弱々しく話して、暫く黙り込んだとします。やがて、受け手が「それは辛いですね」と応 じたとしても不思議ではないようにみえます。これは自然な流れでしょうか。辛いこ とに共感しているように見えて、じつは共感ではないです。
ある人はこう応じられて怒りだすかもしれません。口にださなくても、《何がどう なっているのかわかりもしないで、どうして辛いとわかるのか!》というわけです。 逆に、ある人は、ひとことで相談員は何でもわかってくれるものだ、と思ってホッと するかもしれません。この場合、しかし、そうした幻想を強化することになります。
私たちがこの電話を受けて自然に感じるのは《ン?》ということではないでしょうか。事がそこから始まる、というのが自然の流れだろうとおもいます。(中略)
わからないことをわからない、とすんなり言えることこそ電話相談での自然なコミ ュニケーションを成り立たせる基盤である、と私はおもいます、と。
私たちは相談を受ける立場にたつと、よしその相談事を解決してあげようではない か。似たような問題のあの人にはこういう風に解決してあげたから、この人にも同じような解決法で良いのではないか、という風に、ある種の解決法を用意して、一段高いところからもの申す傾向がありがちです。しかし、それでは何の解決にもならないし、却って反発を招くことにもなりかねないということです。
日蓮上人は南条書に日く
法は必ず国を鑑みて弘べし。かの国に良かりし法なれば必ずこの国にも良かるべしとは思うべからず、と。
どんなことにも、先入観をもつことなく、常に相手の身になって考えてあげることが 大事だと言うことではないでしょうか。

(平成10年7月6日)

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