法雨抄

私は捨て子1998年05月01日

「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」は日本一短い、それでいて要を尽くした手紙として勇名ですが、これは徳川家康の家臣で、本多作左衛門が陣中から妻に宛てて送った手紙です。
お仙とは後の越前丸岡城主本多成重のことですが、この本多の後この丸岡城主として赴任したのが、元島原の有馬氏でした。有馬氏は大村の七代からの別れです。そうした御縁で先日丸岡を訪問した折り、「日本一短い手紙『母』への想い」という募集作品集を頂きました。
そのトップは、十七歳の少女の
私は捨て子。
あなたのおなかにいてあなたに拾われたのです。
というショッキングなものでした。応募作品の審査委員黒岩重吾氏は
この作者が持っている母への不信感というものに対しては私自身、暗い想い、あるいは、ここまで親子の間が断絶するであろうか、というような悲しみを胸に抱いています、と。
また、俵 万智さんは
たしかにあなたのお腹から出てきたけれども私は誰の子供でもない 捨て子なんだ、という、十七歳の痛々しいような、母親へつきつける言葉・・・・・・
と評していたが、私はそう思いたくない。
私はあなたの子供なのだろうか、こんなにまで断絶してしまった自分は捨て子だったのではないだろうか、いや、捨て子だったんだ。そう思いたいけれども、そう思い切ることの出来ない自分をじっと見詰めている少女の切ない胸のうちを歌いあげたものではないかと思えてなりません。
子供にも一人一人因縁も違い、宿業もことなりますが、親となり、子となることはさらに一重深い因縁のあるところです。
日蓮聖人は十王讃歎抄に曰く、
凡そ一樹の陰に宿り、一河の流れをくむことだにも多生の縁とこそ言いぬるに、ましていわんや、親となり子となるおや。

(平成10年5月1日)

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