法雨抄

生命の重さ1997年11月01日

機関銃の弾も飛んでこなければ空襲もない今の日本で、年間二万三千人以上も死者が出て、年間十万人もの人が自殺を試みている。さらに死にたいと思いながらも、死への恐怖や苦痛に対する恐れ、残された者たちへの配慮などから自殺に踏み切れない人たちが、自殺する人たちの十倍はいると言われていますから、その裾野は驚くべきものでしょう。
自殺というのは生きる苦しみから逃げるために、ふっと死の側に移行するということです。それがたやすくできてしまうのは一個の生命、自分の存在というものが貴重だとか、得難いものだという実態が薄いからではないのでしょうか。(中略)
自己の生命の重さが感じられない。それが時代の実態でしょう。そして、自分の命の尊さに実感がないということは、イコール他者の命も同じような重さでしかないということになります。(中略)
ふっと自らの命を絶ち、軽々しく他者の命を奪うー私たちは戦争中に勝るとも劣らない、死と隣合わせの時代に生きているのです。
作家の五木寛之はプレジデントの最近号の「蓮如」に就いての評論の中でこんなのことを述べていました。
仏教で「一切皆苦」と申しますように、確かに、人生は苦の世界ではありますが、私たちが人間に生まれてくることはまことにまれなことであり、有り難(にく)いことであります。だからあり難いです。牛や馬は調教されれば他の動物よりも少しはましなものになりますが、私たちは人間に生まれたからこそ、自分の力で、自分の考えで、自分を成長させていくことができるのです。仏にもなれるのです。人間礼儀、人間尊重は仏教の大事な教えなのです。仏教は命を大事にする教えなのです。
日蓮聖人は「可延定業御書」に日く
「命と申すものは一身第一の珍宝なり。一日なりともこれをのぶるならば、千万両の金(こかね)にもすぎたり」

(平成9年11月1日)

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